地元の見る目を変えた47人。
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2018.07.24
未来を仕掛ける日本全国の47人。
毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ巡って、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”を見つけていきます。今回向かったのは、奈良県の大和郡山市。〈rooms Ji-Ba〉ディレクターの石塚杏梨さんが教えてくれた、ガラス工芸職人の堀部伸也さんをご紹介します。
この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。
手仕事の未来を作るため、次世代の作り手を育てることに情熱を注ぐ人。
とんぼ玉のアクセサリーや、ガラス仏像、ガラスの器まで。堀部さんは、繊細で、穏やかな美しさを持つガラス工芸品を数多く作り出すとともに、教室を主宰するなど、作り手の育成にも力を入れています。また、2013年からは全国の工芸品を集めたフェア「ちんゆい そだてぐさ」を立ち上げるなど、日本の手仕事全体を盛り上げるべく奮闘。推薦してくださった石塚さんは、「堀部さんのすごいところは、『工芸を愛し、工芸のために役に立ちたい』という熱い思いと、周りを巻き込む力です。工芸を次世代に残すという一筋の希望のもと、自ら行動しています。そういった姿が周囲の共感を得て『自分も役に立ちたい』という熱い思いの輪が広がっています」と話します。堀部さんご本人にお話を聞いてみました。
F.I.N.編集部
堀部さん、こんにちは。
堀部さん
初めまして。
F.I.N.編集部
今日はいろいろとお話を聞かせてください。まず、拠点とされている大和郡山市はどんな土地なんですか?
堀部さん
大和郡山には、豊臣秀吉の弟・秀長のお城跡があります、風情のある城下町で、大人の色気を感じますね。
F.I.N.編集部
ご出身でもあるんですか?
堀部さん
いえ、私が生まれたのは奈良市内で、大和郡山は父親の生まれ故郷でした。大和郡山は、いろんな手仕事がある町なんです。いまだに町ごとに手仕事の名残がありまして、例えば、染めものが盛んな地域には”紺屋町”という名前が付いているなど、手仕事が根底に根付いている場所です。そこに惹かれました。
F.I.N.編集部
そうだったんですね。そもそも、ガラス工芸職人になられたのはどんなきっかけがあったんですか?
堀部さん
私は、奈良市の東大寺の戒壇院の近くで生まれました。住んでいたのは長屋で、隣近所には、職人さんがたくさん住んでいたんです。隣の家に遊びに行ったり、工房に潜り込んだり、配達について行ったり……、祖母も工芸に携わっていたので、漠然と、いずれは職人になりたいなという憧れを密かに持っていました。そう思いながらも、別のことをしていたんですけど、大人になってからもやっぱり夢を断ちきれなくて。知り合いの職人さんに相談をしたところ、ガラス工芸を紹介してもらったんです。
F.I.N.編集部
「職人になりたい」という思いが先だったんですね。そこで偶然出会ったのがガラスだったと。
堀部さん
「ちょっとやってみようかな」と思って始めたのですが、あまりの美しさに、どんどんのめり込んでしまいました。
F.I.N.編集部
どんなところで修行を積まれたんですか?
堀部さん
本格的にガラスを教えていただいたのは、明日香村の作家さんのところでした。ですが、「”作家”だけではなかなか食べていけないよ、”職人”の手を持ちなさい」と言われたんです。そこで、大阪和泉のガラス工房で、職人としての修行を積み、大和郡山に帰ってきました。
F.I.N.編集部
なるほど。初歩的な質問ですが、”ガラス作家”と”ガラス職人”には、具体的にはどんな違いがあるんですか?
堀部さん
作家と言ったら、創作活動をする人。自分の思いや、頭に描くイメージを形にしていきます。一方、職人は、自分の表現だけでなく、お客さんの要望に沿ったものも作っていける人。
例えば、「1日に6mmの玉を3000個作って」と言われたらできるわけです。日本全国を見ると、ガラス作家さんがほとんどで、バーナーワークのガラス職人は、全国では数名、しかもほぼもうお年を召した方しかいらっしゃらない。奈良で見れば、私ひとりだけですね。
F.I.N.編集部
そんなに少ないとは驚きです……!
堀部さん
というのも、職人の世界というのは地味ですし、厳しい世界なのでなかなか続かないんですよ。
F.I.N.編集部
堀部さんも、最初は苦労されたんですか?
堀部さん
修行は相当厳しかったです(苦笑)。職人は精度を求められますからね。火の見極めや、ガラスの質に応じた材料の使い分けなど、感覚に基づいて判断するようなことをひたすら教え込まれました。だからこの世界に入ってきても、もって3か月。早い人だと、朝に来て、昼にはもういなくなってる、なんてこともあります。
F.I.N.編集部
聞いているだけで、厳しそうです……(苦笑)。作家として、そして職人としての修行を終えられた後、大和郡山市にてガラス工芸の工房〈Glass Dept Panthalassa〉を立ち上げられました。素敵な作品を手がけておられますが、中でもガラス仏像というのは初めて拝見しました。
堀部さん
これは、世界で初めての試みなんです。奈良を、ガラスを通じてどう世界に発信したらいいのか、どう知ってもらうのか、ということを考えた時に、ガラスで仏像を作ってみることを思いついたんです。というのも、ガラスと仏像には、どちらも、美しさ、儚さ、アート性があります。ガラスで仏像を造る意味があるなと感じました。
F.I.N.編集部
本当に素敵です。奈良の工芸に貢献したいという思いも持たれていたんですか?
堀部さん
奈良は日本文化の発祥の地。奈良という地には、古来、脈々と受け継がれてきた”ものづくりの心”と、”確かな技術”があるんです。だから、もっと本来工芸がクローズアップされてもいい土地だと思います。それは、奈良県人の厳かなところ、良いところなのか悪いところなのか……、なかなかうまく発信できないところがあるんです。
F.I.N.編集部
奥ゆかしい県民性なんですね。
堀部さん
例えばお茶の道具ひとつを取っても、釜から茶筅まで一式揃うのは奈良県だけなんです。そういうことも全国の方はもちろんのこと、奈良の人でも知らないような状態。いろんな面白い工芸の世界が広がっているんですね。だから、それをもっともっと知っていただきたいというのが僕の思いでもあります。
F.I.N.編集部
なるほど。奈良の工芸を発信したいという思いから「ちんゆい そだてぐさ」を開催するに至ったんですか?
堀部さん
それもありますが、「ちんゆい そだてぐさ」に関しては、もっと大きな理由があります。というのも、奈良に限らず、作家というものづくりをしている人間は、なかなかこれだけでは食べていけない時代になってきているんです。今は、100円ショップが出てきたり、安い衣料が出てきたり……。質が悪いわけではなく、安くて良いものが簡単に手に入る時代になってきましたよね。つまり、作るだけで売れた時代ではなくなってきているということ。「これから若い子はどんどん食べられなくなってしまうという現状をなんとかしてあげたい」。それがまずそこにある思いだったんです。
F.I.N.編集部
なるほど。そこで、日本全国の職人さんをうまく知ってもらう機会として「ちんゆい そだてぐさ」を企画されたということなんですね。
堀部さん
そうなんです。それは、私自身がそうだったから。独立して、何の頼りやつてもない状態で大和郡山に帰ってきて、ほぼマイナスからのスタートでした。お寺の境内で、軽トラの荷台に自分の作品を並べて売ってたような時期もありましたね。それがある時、とあるクラフトフェアに出て、ギャラリーの方からお声をかけていただいたんです。そこからたくさんの人に知ってもらえるようになりました。同じように、知ってもらう機会というのを、若い子たちにも与えたかったんです。
F.I.N.編集部
ご苦労されたからこその思いですね。実際に2013年から始められて、初年度はいかがでしたか?
堀部さん
1年目から、2日間で1万5千人も来られたんです。予想を上回る大成功でした。
F.I.N.編集部
PR方法に何か工夫されたんですか?
堀部さん
当時、そこまでSNSに明るくなかったというのもあって、プレスリリースを打ったり、ターゲット層が来る店にもチラシを置いてもらったり、いろんなことをしてもらったんですけど、なかなか逆風でしたね。デジタルの時代とはいえ、効いたのはアナログでした。
F.I.N.編集部
アナログ、というと?
堀部さん
最初、細かくターゲットを絞り込みました。年齢層、家族層、どういう家に住んでいてどういう地域に、っていうそこまでディテールを絞り込んだんです。例えば、30代後半~40代、新興住宅街に住む戸建ての注文住宅にお住まいの4人家族で、っていう。そしたら、新興住宅ばっかりにポスティングして回ったんです。雨の日も風の日も、何ヶ月もかけて県内外の住宅地を数万軒歩きました。
F.I.N.編集部
……まさに、血の滲むような努力です。
堀部さん
さらに、「ちんゆい そだてぐさ」が成功した理由は、もう二つあると思っています。まず、良いものしか集めていないこと。審査会というのを作っていて、4つの段階の審査にパスしたものしか出られないんです。レベルが高いので、全国からギャラリーやバイヤーが来る。そこで、声がかかって、私が辿ったようなストーリーができるわけです。それを狙ったというのがひとつ。
そして二つめは、助成金や協賛金を一切もらっていないこと。我々は1円もいただいていないんです。というのも、それをもらうと、自分たちの思いやコンセプトがぶれてしまう可能性があるから。自分たちの思いを貫くにはそれが1番でした。
F.I.N.編集部
なるほど。
堀部さん
「失敗したらどうしよう」とか、「こんなことをやったら怒られるな」ではなくて、自分が思った情熱を貫き通さないと、絶対に後悔すると思っています。そこで諦めたら負けなので。
F.I.N.編集部
本当にそうですね。石塚さんが堀部さんのことを「熱い方」と表現されていたのにも頷けます。今後の堀部さんの目標を教えてください。
堀部さん
「若い子たちが、ものづくりでご飯が食べられるように」という思いに対して、「ちんゆい そだてぐさ」というのは一つの形でした。そしてこの4月、新しいアプローチとして「工藝舎」という会社を立ち上げました。これは、ものづくりの仕組みを作る会社。デザイン力、プロダクト力、ブランディング、流通などを請け負ったり、あるいは、マッチングさせながら”勝てる商品”を新しく作っていくコンサルティングをしたり。僕は奈良ばかりにこだわっていませんし、もっと言うと工芸にもこだわっていない。食、音楽、カメラ、映像……全ての表現者のための会社にしたいと思っています。今ここで生み出したものが、次の伝統に必ずなるはず。これまでの伝統や格式に捉われず、ラブコールが絶えない日本の手仕事が、未来も継がれていくための取り組みをしていきたいと思っています。
F.I.N.編集部
やはり次世代を見据えておられるんですね。
堀部さん
はい、若い子たちが目指していけるような工芸にしないと、この工芸界はだんだん目減りしますし、底上げにならないです。誰もが憧れる職業に工芸家というのをしていかないとダメだと思います。
F.I.N.編集部
どうして自分ごととして、そこまで若い世代のことを考えられるんでしょうか?
堀部さん
私自身、街にも人にも育ててもらいました。自分自身、本当に人に恵まれた男だなと思っています。だから、これは最後の私の奉公。誠心誠意、人に尽くしていきたいですね。まあなかなか、おじさんは疎まれたり、鬱陶しがられたりもするんですよ(笑)。僕らは昭和人間なので、なんでもズバズバ言っちゃいますし、頑固親父的なところがあるので。
でも、言われたことを後で振り返って、「ああ、あのおっさん、あんなこと言ってたなあ……」という風に気付いてくれたらいいなと思います。
F.I.N.編集部
いつか若い世代も、そのありがたみに気づく時が来るのでしょうね。ありがとうございました。
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