2025.07.09

いい嘘とは何か?「虚構新聞」UKさんが語る、現実と虚構の境界。

生成AIをエンタメとして楽しんだり、真偽が曖昧なフェイクニュースを慎重に見極めたり。「真実ではない」「現実ではない」ことを理解したり、うまく付き合ったりしながら、ものごとを受け止める姿勢が問われている気がします。今の時代において、目利きたちは何を信じ、何を疑っているのか。また、世の中で支持されるものごとは、真偽に対してどんな姿勢を示しているのでしょうか。今回の特集では、5年先の未来を生きていくための、信じること、疑うことの価値観を探っていきます。

 

「このニュース、本当?嘘?」。そんな遊び心を20年以上に渡って届けてきたのが、虚構記事を配信するウェブサイト「虚構新聞」の創設者で社主のUKさんです。UKさんが発信しているのは、笑える嘘、楽しめる嘘。でも今の時代、冗談が冗談として受け取られないことも増えてきました。現実と虚構の境界が揺らぐ今、嘘を楽しむために必要な感覚や視点を探るため、UKさんにいくつかの問いを投げかけます。

 

(文:船橋麻貴)

Profile

UKさん(ユーケー)

虚構新聞社社主。2004年3月、虚構記事を配信するウェブサイト「虚構新聞」を設立。以来現在まで、現実と虚構の境界を描くニュース記事を発表し、ネット界隈をにぎわせている。2012年第16回「文化庁メディア芸術祭」エンターテイメント部門審査委員会推薦作品受賞。2018年より『5分後に意外な結末』シリーズ(学研プラス)に短編を寄稿。2021年よりMBSラジオ「立岩陽一郎のファクトチェックラジオ」出演。同年朝日新聞滋賀県面にて、『虚構新聞―特別編―』を連載。2022年度より成安造形大学情報デザイン領域客員教授。趣味は漫画収集。好きな猫は猫。

https://kyoko-np.net/

Q.なぜ「虚構新聞」を始めたのですか?

A.エイプリルフールの遊びが始まりです。

最初のきっかけは、ほんの思いつきでした。大学生の頃、自分のホームページでニュース紹介サイトをやっていて、4月1日にエイプリルフールの遊びとして嘘ニュースを何本か書いたんです。阪神甲子園球場の「ラッキーゾーン」にちなんで、サッカーでもゴールポストの端がちょっと膨らんでいて、そこに入れば得点になる「ラッキーゴール」っていう。たわいない嘘ですけど、当時はそれが結構ウケたんですよね。

「虚構新聞」創刊のきっかけになった記事

そこから、「じゃあ、エイプリルフール以外でもやってみようか」と思って、ニュース紹介の合間に自作の虚構ニュースをしれっと混ぜるようになったんです。読者は「あれ? これは本当?嘘?」と考えるわけで、それがちょっとしたゲームみたいで面白くて。そうやって記事がどんどん溜まっていった頃に、「これはもう独立させよう」とスピンオフ的に立ち上げたのが「虚構新聞」でした。特に大きなコンセプトがあったわけじゃないんですよ。ただただ自分が面白いと思うものを書きたかったんです。

Q.昔と今で、変化を感じることはありますか?

A.現実との距離感が変わった気がします。

「虚構新聞」を始めた当初は、読者のほとんどがブックマークから見に来てくれていて、「これは嘘の記事」という暗黙の了解というか、共通認識がありました。だから、こっちも安心してギリギリのネタを書くことができたし、多少攻めた表現をしても「読者はちゃんとわかってる」と信じられていたんです。

 

でも、SNSが普及してからはまったく様相が変わりました。記事単体が突然タイムラインに流れてくる。しかも、見出しだけ読んで拡散されることもあります。そうなると、そもそも「虚構新聞」を知らない人の目にも届くようになって、「これは本当だ」と思われてしまうことも。だから最近は、あえて架空の地名を入れたり、絶対にありえないような設定にしたり、記事の中に「これは虚構ですよ」というヒントを散りばめるようにしています。

 

僕自身、SNSが普及して以降、思ってもみなかった読まれ方をすることもありました。読めば絶対わかるんだけどなぁと思っても、そう読まれるなら書き手の力不足。ネットの使い方が変わったから、発信する側も時代に合わせて書き方を変えていかないといけないと思ってます。

Q.「いい嘘」と「悪い嘘」の違いは何でしょうか?

A.自分にとっての「いい嘘」は、笑ってもらえる嘘です。

嘘っていうと、どうしても「人を騙す」「悪いこと」っていうイメージがあると思うんですが、僕にとっての「いい嘘」はただ1つ、「笑えるかどうか」です。逆にいえば、笑えない嘘はダメ。例えばフェイクニュースは、その最たる例だと思っています。その点、「虚構新聞」はフィクションだけど、フェイクじゃない。誰かを陥れたり、特定の政治的な思想を込めたりすることは一切していません。

 

昔は、もっと本物っぽいところを突いて、ギリギリのところを攻めていました。現実と虚構の境界線ギリギリの、いかにも「ありそうな話」をわざと書いて、「え、これ本当?」と読者を揺さぶるような構成にしていたんです。でもSNSやフェイクニュースの拡大が起きてからは、そのギリギリさが通じにくくなりました。

 

例えば政治ネタ。元首相の岸田文雄さんの「増税メガネ」みたいな表現も、昔なら笑いにできたけど、今はいじめと受け取られてしまうことがある。あとは企業ネタ。昔は〈au〉のキャラクター「リスモくん」がiTunesと競合するってことで、「リンゴ食べて食中毒で死去した」って虚構記事を書いたんです(笑)。しかも、記事を読んだ〈au〉の人もそれを怒らずネタとして受け入れてくれる、大らかな時代でした。だけど今は、企業のブランディングやネット炎上リスクを背景に、そうした虚構は成立しにくくなりました。「マーケティングの道具として虚構を使って記事にしてほしい」という案件の依頼も来るようになりましたが、そんな八百長、出来レースをやってしまうと虚構を面白がってくれる読者を裏切ってしまうことになる。「虚構新聞」は読者との信頼関係のうえに成り立っているので、それを壊したり、誰かを傷つけたりするようなネタは扱わないんです。

Q.なぜ、エイプリルフールに本当の記事を出すようになったんですか?

A.毎日が嘘みたいな時代だからこそ、4月1日は「嘘を考える日」にしました。

ネット上のエイプリルフールって、もうかなり前から企画として飽和している感じがあるじゃないですか。それでなくともネットって毎日エイプリルフールみたいなネタが飛び交っている場所なのだから、4月1日の虚構新聞は「嘘の日の嘘は真実」みたいに、あえて「本当の話」を出してみたらどうだろうって考えたんです。これは2020年から始めた企画で、毎年4月1日には、科学、医療、歴史、メディアなどの分野から嘘に関わる本物の専門家にインタビューしています。

 

逆説的ですけど、エイプリルフールこそ「嘘ってなんだろう?」「信じるってどういうことだろう?」ということを改めて考えるきっかけになったらいいなと思っていて。それは、年に一度だけ本当のことが書ける「虚構新聞」にしかできないテーマだという気がするんです。

2025年のエイプリルフールには、漫画家の荒川弘さんに取材した「本当の話」を掲載した

Q.嘘をエンタメとして楽しむには、何が必要ですか?

A.「退屈」を受け入れる余白だと思います。

嘘を楽しんでもらうには、やっぱりある程度の距離感が大事だと思います。でも今はSNSが生活の当たり前になっていて、特にXでは年がら年中、誰かが炎上していたり、お祭り騒ぎが起こっていたりして、皆ずっとアドレナリンを出し続けているような状態。そんな空間に身を置き続けると、笑いやフィクションを受け取る余裕が失われていく気がします。特定の価値観に肩入れしていたり、いつも何かに怒っていたりすると、どんな嘘も冗談として受け取れなくなってしまんですよね。だから僕は、嘘を楽しむにはSNSはほどほどにして、「退屈」に慣れておく必要があると思います。何かを信じることも、疑うことも、そして冗談を冗談として笑うことも、その全部に共通するのは「のめり込みすぎないまなざし」なんじゃないでしょうか。

 

そしてもう1つ必要なのが、ちょっとした知識。記事を書く時は中学生でも楽しめるくらいの内容になるよう意識していますが、それにプラスして「わかる人にはわかる」小ネタを散りばめることも多いです。これは「虚構新聞」に限った話ではないですが、何事も知識があった方が「なるほどそうきたか」と笑えるポイントが増えると思いますよ。

Q.20年以上も嘘で遊んでこられたのはなぜですか?

A.虚構に救われているからです。

「虚構のニュースを発信する」って聞くと、ちょっと構えてしまう人もいるかもしれません。でも僕自身は、そんなに重たく考えてないんです。もちろん、「フェイクニュース」との線引きにはすごく気を使ってきましたけど、「記事を書き続けていいのか」って悩んだことは、ほとんどないです。読者のリテラシーを信頼しているので。

 

虚構記事を書き続けてきて、誰かの人生を救ったことはないかもしれません。むしろ救われているのは、僕の方。テレビや新聞からネタを拾って、「これはちょっと面白くできそうだな」と思ったことをメモしておいて記事を書く。それを読んで笑ってくれる人がいるのがうれしくて、20年以上も続けることができました。

 

ネットがなかったら、こういう創作を発表する場所なんてなかったし、きっと特に目立つこともなく田舎で静かに人生を終えていた。でも、思いついたことを発信できる場所があって、そこに全国から反応が返ってくる。それって、本当にありがたいことだと思っています。

Q.これから虚構はどう変わっていくと思いますか?

A.どんな嘘が通じるのか。これからも模索していきたいです。

AIが嘘をつき、フェイクニュースが現実を揺るがす今、現実と虚構の境界はますます曖昧になっています。そんな時代に、どんな嘘なら笑ってもらえるのか、どこまでが許されるのか。その見極めはどんどん難しくなっていると感じます。

 

でも僕は、虚構って本来ただの悪ふざけではなくて、読んだ人に違和感や引っかかりを残すものだと思うんです。すぐに笑えなくても、ふと立ち止まって考えたり、見方を変えるきっかけになるような。そんな余白のあるものが今こそ必要なんじゃないかと。

 

10年後も虚構新聞が続いているかと聞かれたら……読者から反応がある限りはキャッチボールを続けたいですけど、そんなに長いこと付き合ってもらえますかね(笑)。でも、どんな嘘なら通じるのかということは、これからもずっと手探りで探し続けていきたいです。

 

虚構は、真実を覆い隠すものではありません。むしろ、現実を別の角度から見る視点を提供するものなんじゃないでしょうか。そんな可能性がまだまだあると信じて、これからも虚構記事を発信し続けていけたらと思ってます。

【編集後記】

なんとなく眺めるスマホの容赦ない情報量にデジタル疲れし、帰宅してテレビのニュースを少し見ては消す、を繰り返してしまう毎日です。UKさんがおっしゃった「日常に退屈の割合を増やして、楽しいことの感受性を大切にする 」をさっそく取り入れて、最近観て素晴らしく感動した映画の原作小説を読んでいます。読んでいると脳の中に映像や色彩が浮かび、質感を想像してワクワクし、ならばと関連する他の本を読んだりしていると少しずつスマホとの時間を減らせていることに気づきました。信じると疑うのはざまで揺れ動いている方へのUKさんのアドバイスは「インターネットは人生のすべてではなく一部、のめり込まず楽しいことがなくても受け止めること」とのこと。人のリテラシーを信じ、真偽を見抜く力を持ち、楽しくだまされたり、上手くフェイクを回避できるように、少し先の未来に向けて成熟していければ、と思います。

(未来定番研究所 内野)

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