スマホ1つで、欲しいものがすぐ手に入る現代。買い物は、かつてないほど便利になりました。画面を眺めていると誰かのおすすめやヒントが次々と流れて、選択肢は増えていきます。そんななかで、「買いたい」という感覚はどのように生まれ、どう変化していくのでしょうか。今回は、私たちが「何に納得して買うという選択をするのか」に目を向けながら、これからの買い物のあり方を探ります。
モノやサービスを購入する時に、買うか買わないかの決め手にもなる価格。そもそも私たちは、何に対してお金を払っているのでしょうか。価格の「納得感」はどこから生まれ、どんな時に「払いたい」と感じるのか。そんな価格の正体を探るため、企業のプライシング(価格設定)戦略を支援する〈プライシングスタジオ〉代表取締役CEOの高橋嘉尋さんに、いくつかの問いを投げかけます。
(文:船橋麻貴/イラスト:Akimi Kawakami)
高橋嘉尋(たかはし・よしひろ)さん
〈プライシングスタジオ〉代表取締役CEO。2019年、慶應義塾大学総合政策学部在学中に価格1%が企業の営業利益の約20%の改善に繋がることを知り、その影響力に魅力を感じ、同社を設立。以来、30以上の業界、100以上のサービスの値付けを支援している。2023年Forbesによる「アジアを代表する30才未満の30人」に部門で選出。著書に、『値決めの教科書 勘と経験に頼らないプライシングの新常識』(日経BP)がある。
Q.そもそも価格って何ですか?
A.一言でいえば、「価値の裏返し」です。
私たちはモノやサービスそのものにお金を払っているのではなく、それらを受け取った時に自分のなかに生まれる「価値」に対して対価を支払っています。原価や人件費がいくらかかったからではなく、受け取った側がどれだけの価値を感じたか。その価値に対して支払うものが価格です。だから僕は「価値の裏返し」と呼んでいます。
ただ、正直にいうと、そういう考え方で価格を決められている企業はほとんどありません。これまで何千社もの企業と対話してきましたが、価値起点で値決めができているのは、体感として5%以下ですね。では、多くの企業がどうやって価格を決めているのかというと、競合他社の価格をベンチマークにして「他社がいくらだからいくら」、もしくは「原価がいくらかかっているからいくら」というのが実態です。これは価値を起点に決める「顧客都合」に対して、「会社都合」。だから、結果として的外れな価格になるケースもあれば、なんとなく正解の価格になっているケースもあります。
実はこうなったのは、ここ数十年の話なんです。かつて日本が高度経済成長期だった頃は、高くても売れる時代でした。でも、デフレが長く続き、企業は「自分たちの努力(コストカット)で安く提供することが美徳である」という呪縛に陥ってしまった。その結果、本来届けるべき「価値」ではなく、「数字の調整」で価格が決まるようになってしまったんです。
なぜそうなるか。例えば社長が「この金額でいい」と言っても、現場の人は「お客様はこの金額じゃ買ってくれません」と言ったり、営業の人が自分の金銭感覚の物差しで価格を決めたりもする。社内でいろいろな声があがるため、結局折衷案に落ち着いたり、声が大きい人の意見が採用されたりします。正しい金銭感覚を持っている人が企業にいたとしても、その人の声はなかなか通らない。それが今の日本のプライシングの実情です。
Q.価格の相場は誰が決めているのですか?
A.「プライスリーダー」と呼ばれる、業界で影響力のある存在が決めています。
実は、多くの企業が「相場」だと思っているものは、誰かが戦略的に、あるいは勇気を持って引いた境界線に過ぎません。大規模小売店やコンビニが価格を下げると、顧客を取られまいと業界全体が追随する。それくらい影響力のある存在が相場を動かしているんです。
最近の象徴的な例でいえば、ラーメン業界における「1,000円の壁」です。長らく「ラーメン1杯に1,000円以上は払わない」という見えない境界線があり、多くの店主が苦しんできました。そこへ一石を投じたのが、東京都・高田馬場の〈博多ラーメン デブちゃん〉です。当初はSNSで「高すぎる」と炎上もしましたが、結果としてお客様が減らずに売り上げが上がった。このお店がプライスリーダーとなって境界線を動かしたことで、他のラーメン店も「自分たちも価値に見合った価格をつけていいんだ」と救われた部分は大きいはずです。つまり相場とは、守るべきルールではなく、価値によって書き換えられるものなのです。
Q.価格への感覚は、なぜ人によって違うのでしょうか?
A.受け取っている価値が、人によって違うからです。
僕の場合、今家にテレビがないので買おうと思っているのですが、あまりにも安すぎると機能や耐久性がちょっと不安でむしろ買いたくない。一方で靴下や下着は、消耗品なのでとにかく安い方がありがたい。つまり、価格の感覚はモノによって、人によって全然違う。消費者が高い金額を払うかどうかは、受け取っている「価値」によって決まります。
2万円近くする高級マンゴーを贈答用として買う人もそう。自分で食べるなら高いけど、両親や友人へのプレゼントとして購入するなら高く感じない。それぞれ受け取っている価値が違うから、「この価格じゃないと」というラインも違ってくるんです。
あと、「価格が品質の保証になる」というケースも多くあります。ある旅館では、内装にお金をかけすぎてしまったことで、採算を合わせるには1泊10万円以上の宿泊料金にしなければならなかった。そのエリアの相場は5万円だったので、経営者は絶望していたそうです。でも仕方なく10万円で予約を受け付け始めたところ、価格を高い順で並び替えて宿を選んでいる層がいることが発覚して、その層にとっての第一想起になった。予約はあっという間に埋まり、今では1泊25万円以上の日もあるほど、どんどん価格が上がっているそうです。「高いから安心」「高いからいい場所だろう」という感覚で選ばれることもあります。
Q.私たちはどんな時に、迷わずお金を払えるのでしょう?
A.競合や類似品との差別化が明確な時です。
配信コンテンツの例でいうと、NetflixとHuluは提供しているコンテンツのジャンルも価格帯も似ているじゃないですか。差がないから安い方で選ぼうとなるんです。一方でDAZNは料金が高いけれど、そこでしか見られないスポーツコンテンツがあるから成立しています。
配信コンテンツのように数百円の差で迷う買い物は、日常的に使うモノがなりやすい性質があります。定期便で洗剤や水を送ってもらうような生活必需品も最たる例。日常に食い込むものやサービスは、消費者にとって必ず出る出費になるので、安さを求めやすくなる。だから安いことが付加価値になりやすい。
ただ、こうしたサブスクサービスでも、そこにしかない価値があれば話は変わります。港区には月10万円ほどする高級フィットネスラウンジがありますが、料金が高くてもそこにいること自体にステータスや価値を感じているから払う人がいます。推し活も同じです。ライブチケットやグッズに数万円を払えるのは、ただモノやコンテンツを買っているわけではありません。応援している、その瞬間に立ち会えた、つながりを感じられる、そういった体験や感情そのものに価値を感じているから払える。価格よりも先に「払いたい」という気持ちが動く。それが、納得感のある価格の正体だと思います。
Q.高くても売れるモノと、安くても売れないモノ。その違いは何ですか?
A.高いか安いか。企業がどちらかの戦略を選び、徹底してやりきっているかどうかです。
企業のビジネス戦略の違いを知ると、わかりやすいと思います。低コスト戦略を貫くのか、それとも高付加価値戦略を追求するのか。どちらかに振り切ることが大前提となります。
例えば低コスト戦略の代表が〈サイゼリヤ〉。あの価格で売れるのは、店舗のオペレーションから材料の仕入れまで、限りなくお金がかからないように何十年もかけて積み上げてきたからです。同じことを他の飲食店が真似しようとしてもできません。一方、高付加価値戦略はその逆です。価値がないのに値段だけ上げようとしても、競合との差分がないから売れない。どちらの戦略も、中途半端にやっては意味がないんです。
「いいモノを安く届けたい」という経営者もいますよね。消費者思いの考え方かと思いきや、構造的に難しい。コストをかけていいモノを作れば、当然価格に反映しなければ利益が出ません。でも高価格で売れなければ、結局値引きやセールに頼ることになる。いいモノを割引して売ってしまうと、お客様は割引を待つようになって、最終的に割引前提のブランドとして認識されてしまう。やりきれない戦略は、企業を少しずつ蝕んでいきます。
職人不要のウナギのチェーン店が一時期話題になりましたが、あのモデルも同じです。ウナギ本来の香りや旨味を出すには、炭でじっくり焼いて、丁寧に火を入れる時間が必要です。それをオペレーションで短縮することはできても、ウナギ本来のおいしさは出てこない。だから、リピーターを増やすことは難しい。高付加価値のものを安く売るというのは、不可能に近いんです。
Q.納得感のある価格は、どのようにつくられていくものですか?
A.誰が、何に、いくらまで払うか。この3つを整理することから始まります。
飲食チェーン店であればエリアごとの分析、サービスであれば競合他社のスペックと価格を調査したうえで、自社との違いに対してお客様がいくらまで払ってくれるのかを調べる。泥臭い作業ですが、それがすべてです。そしてこの整理が、値上げのタイミングを見極めるうえでも重要になってきます。
値上げをすれば徐々にお客様が減っていくと思いがちですが、実はそうではありません。一定のラインまでは減らない。でも、超えてはいけない線を1円でも超えた瞬間に、どっと減るんです。実はそれをやってしまった飲食チェーンがあります。今まで数回連続して値上げがうまくいっていたので、今度も大丈夫だろうと踏み切ったんだと思います。でも消費者の許容ラインというのは、大体みんな同じところにある。それを超えた瞬間に「もう行かない」という人が一気に増えるんです。一度離れた顧客はすぐには戻ってきません。実際、〈ユニクロ〉も過去に値上げに失敗していますが、顧客が戻ってくるまでに3〜4年はかかっています。また1から顧客との信頼関係を作り直すことになるので、一度ついた印象はリブランディングをしたくらいでは変わりません。
そして、どれだけデータがあって、正しい価格への確信があっても、社内の合意形成ができていなければその価格にはできません。だからこそ重要なのが、経営者がスタンスを明確にして、なぜこの金額なのかを全員が理解している状態をつくること。それこそ社員たちを説得するのではなく、納得してもらうこと。価格の問題は、突き詰めると経営の問題といえます。
Q.5年先の未来、私たちの「買い方」は変わりますか?
A.本質は変わりません。価値を感じられるか、感じられないか、それだけです。
消費者は、企業の事情に興味がないんです。コストが上がったから、賃上げが必要だから、という話には関心を持てない。価格に対して見合った価値が得られるかどうかを、ただドライに判断しているだけ。汗水垂らして稼いだお金ですから、当然といえば当然です。物価も家賃もガソリンも税金も上がるなかで、企業の状況まで気にする余裕はない。だからこそ、企業が責任を持って向き合わなければいけません。
「消費者に納得してもらおう、理解してもらおう」という甘えは、今すぐ捨てるべきだと思っています。消費者は、自分の価値判断で好きなものを選んで買えばいい。それに応えられない企業が淘汰されて、応えられる企業が生き残っていく。極めて当たり前のことのようですが、それが健全な消費と経済の姿だと思っています。
【編集後記】
今回の取材を通して印象に残っていることは、どんな価値を届けたいかを考えるのはつくる側であっても、それを価値あるものとして受け止めるかどうかは、いつでも受け取る側が決めるということです。
どれだけ良いモノやサービスを用意しても、それが「うれしい」「心地いい」「安心できる」といった実感につながらなければ、人はお金を払いたいとは思いません。人はモノやサービスそのものではなく、それによって生まれる価値に対して、対価を払っているのだとあらためて感じました。一見、当たり前のことのようでいて、つい忘れてしまいがちなこの視点を、しっかりと心に留めておきたいと思います。
(未来定番研究所 榎)