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2023.04.12

地元の見る目を変えた47人。

第11回| 伝統は地元の宝。敬意を持って次世代へ繋げる。〈株式会社Ay〉代表取締役・村上采さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第11回にご登場いただくのは、大学在学中にファッションブランド〈Ay(アイ)〉を立ち上げた村上采さん。生まれ育った群馬県伊勢崎市の伝統工芸品、伊勢崎銘仙をアップサイクルして洋服を作っています。今はもう作ることができなくなってしまった着物を、現代の日常でも楽しめるように。地元の人はもちろん、幅広い年代の人や海外の人にも伊勢崎銘仙の魅力を届けたいと活動されています。村上さんが地元に目を向けたきっかけや、伊勢崎銘仙の魅力、未来のまちづくりについて伺います。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

村上采さん(むらかみ・あや)

1998年群馬県伊勢崎市生まれ。

アフリカ研究を志し、慶應大学総合政策学部に入学。教育・コミュニケーション学を専攻。大学ではコンゴ民主共和国の教育支援に取り組む長谷部葉子研究会に入る。アントレプレナーシップ育成のプログラム企画・運営などに関わり、自身でもコンゴの女性が作る洋服の販売を始める。2019年にアパレルブランド〈Ay〉を立ち上げ。20年に法人化。同年からは、群馬県伊勢崎市の伝統的な着物「伊勢崎銘仙」をアップサイクルしたアパレルの生産、販売もスタートした。

 

https://www.ay.style/

その価値が見直される、

昔ながらの「伊勢崎銘仙」

大学在学中から起業し、アパレルブランド〈Ay(アイ)〉を立ち上げた村上采さん。群馬県伊勢崎市に生まれた彼女が中学生の時に出会ったのが、かつて地元の名産だった「伊勢崎銘仙」でした。銘仙とは、先染めの平織りの絹織物のことで、併用絣(へいようかすり)と呼ばれる技法を用いた銘仙のことを「伊勢崎銘仙」と言います。銘仙はふだん着おしゃれ着の着物として楽しまれていました。主に北関東で作られていた銘仙。古くから養蚕業が盛んだった伊勢崎市は一大産地でした。

 

「中学の授業で伊勢崎銘仙について学び、その可愛いらしさに心惹かれました。私がそれまで持っていた着物のイメージは和柄だったり、シックな色だったり。そんな思い込みを覆すような、レトロな雰囲気とビビッドな色使いの伊勢崎銘仙。地元には何もないと思っていましたが、こんな素敵な文化があることを知りました」

美しい着物に心を奪われた村上さんは、自分でも銘仙について学びを深めていきました。

 

「明治の後半から昭和にかけて、日本全国の女性の10人に1人が着ていたと言われています。高級な晴れ着ではなくて、普段着。多くの人が普段からファッションを楽しんでいたんです。織り方にも特徴があって、普通の着物は経糸(たて糸)に色と柄を捺染して横糸はワンカラーで織っていますが、伊勢崎銘仙は緯糸(よこ糸)も捺染しています。両方の糸に色がついていて、それを織りあわせていくのですごく発色がいいんです。これはかなり高度な技術で、日本全国で見ても伊勢崎だけができていたと言われるほど難しいものだったそうです」

 

きらびやかな色に、幾何学模様や抽象的な柄を組み合わせた伊勢崎銘仙。地元の名産だったのにも関わらず、住民の村上さんがこの着物の存在を中学生の時まで知らなかったのは、もう新しいものが作れないという現状があったから。

 

「14もの工程を経て作られる伊勢崎銘仙は分業制で、機械ももうありません。新しいものを作ろうと思ってもそれは難しい状況です。作れなくなって何年も経ち知名度はどんどん下がっていっているし、衰退してしまった産業と言えると思います」

 

それでも地元に誇れる文化があるということは、村上さんの心に強く残りました。

海外での活動に力を入れていた

大学生時代

もともと海外の文化にも興味があった村上さんは、高校生の頃1年間アメリカのミネソタ州に交換留学をしました。そのときの経験から、国際協力に興味を持つようになったと語ります。異文化と触れ合ったとき、改めて日本の文化の素晴らしさや、その魅力を海外にも広めたいという気持ちが湧いてきました。

 

「アメリカにも着物を持っていって、交流会で着ることもありました。海外では自分のルーツを意識する機会もたくさんあるし、日本の文化を紹介してほしいと言われることも多々。そんな時は必ず伊勢崎銘仙を紹介していました」

 

海外の支援に携わりたいと決めた村上さんは大学に入学してから、コンゴ民主共和国の協働プロジェクトに力を入れるようになります。実際にコンゴへ渡航し、現地のシングルマザーやストリートキッズに職業訓練を行うNGOと協業し、アフリカの布を使ったアパレルを生産、日本での販売も始めました。

 

「コンゴの人たちがビジネスを起こせるように、現地で洋服を作ってもらい、日本で販売しました。実際現地にも赴き、小学校ではアートのワークショップを開催。またコンゴの人たちに伊勢崎銘仙を着てもらう機会もつくりました。とても喜んでもらえたことが心に残っています」

しかし2020年からはじまった新型コロナウイルスの流行で、コンゴへの渡航が困難に。立ち止まってしまったように感じた期間で、もう一度自分の好きなもの、やりたいことに立ち返りました。

 

「コンゴで活動し、海外の文化を見ているうちに、自分のアイデンティティーを再確認しました。群馬県や伊勢崎銘仙が自分をつくっている大事なものだと、改めてわかったんです。常に私の根底にあった地元の名品を、発信していく事業にすることに決めました」

地元の宝物を、現代に甦らせる

〈Ay〉の商品は、銘仙をアップサイクルしたスカートやワンピース、羽織り、シャツなど。一点ものの着物を使用して作っているので、一つとして同じものがありません。

 

「弊社でオリジナルのデザインを起こし、ヴィンテージの着物を手作業で解き、綺麗にした布を、桐生市の工場で縫製してもらっています。何せ古い着物なので、どうしてもシミがあることも。それを除いて裁断する作業を、ひとつひとつ職人さんが自分の目や手で行っているので工数がすごくかかります。どうしても量産が難しいのですが、お客さまにとって特別な一点物になると思います」

 

アップサイクルされる着物は、ヴィンテージショップから買い付けています。全国的に人気のあった伊勢崎銘仙は、伊勢崎だけではなく、いろんな地域で掘り出し物が見つかることも多いそう。

 

「たまに地元の方から、銘仙がたんすの肥やしになっているから引き取って欲しいというお声もあります。着物が良い状態で保管されていれば、引き取らせていただいています」

 

もう着ることはできなくなってしまったけれど、思い入れがある着物。それが洋服として生まれ変わってまた毎日を彩ってくれる。眠っていたものを甦らせるシステムが構築されています。

先人へのリスペクトを持って

文化を継承する。

伊勢崎銘仙を扱い始めるにあたり、村上さんが心がけたことがあると言います。

 

「文化を扱うブランドなので、文化の背景を学んで地元で携わっている方々にまずお話を聞きに行きました。コンゴでの活動も地元での活動も同じ。まずは、関係を構築させることはいつも心がけています」

 

地元の銘仙の活動家の方々にお話を伺いに行き、自身のアフリカでの活動の報告、銘仙や地元に対する思いを話しました。今までの経験を活かして群馬で頑張っていきたいと伝えたら、「やってみたらいい」と背中を押してくださったそうです。

 

「大学を2年間休学して〈Ay〉を立ち上げました。事務所は前橋市にあります。以前は前橋市のシルクは世界一と言われるくらい製糸業が盛んで、最大の輸出都市でした。残念ながら今は作っていないのですが、そんな歴史があり県庁所在地でもあるここを拠点にするのが発信力もあってピッタリだと思っています。生産は伊勢崎市や桐生市でも行っています。桐生市も銘仙の産地として有名だった場所です。伊勢崎市だけにこだわらず群馬全体で発信していった方が、より多くの方に届けられると思っています」

 

出店のイベントを開くと、もともと銘仙のファンだった方や、カラフルで可愛い柄に目を惹かれて立ち寄ったという方まで、さまざまな方が来てくれるそうです。

ファッションは自由でいいと、

昔の着物が教えてくれた

〈Ay〉の洋服を作る際に出るハギレを使って、フォブリックの小物を制作するワークショップを開催

村上さんは、伊勢崎銘仙の華やかさを現代のライフスタイルに取り入れることで、もっとファッションを楽しめると考えています。

 

「最近はファッションが均一化していると感じます。〈Ay〉の洋服は、工芸品の背景にあるストーリーに共感してくれる人はもちろん、個性的なテキスタイルが好きな方が好んでくれます。しかしちょっとニッチではあるかもしれません。もっと多くの人にファッションを楽しんでほしいので、上の世代から若い世代まで着ていただけるようにフリーサイズ。肩のラインをつくらずに、ウエストも気にならないようなゆったりしたデザインで設計しています」

 

〈Ay〉の知名度が上がってくるにつれて、他の企業とのコラボレーションも盛んになってきました。2023年には、同じ伊勢崎市を拠点としている企業との商品開発も実現。

 

「伊勢崎で100年以上続いている伝統のある企業が、私の活動に興味を持ってくださってコラボで商品を開発したいとお声がけいただきました。地元(他業種)の方たちが伊勢崎銘仙を守りたいという思いを持って声をかけてくれたのが嬉しかったです。伝統を守りながら、一緒に新しい文化をつくっていこうと同じ志を持って商品を開発しました」

 

今回のコラボレーションをきっかけに、〈Ay〉の新たな方向性も見えてきたと言います。

 

「今回のコラボの商品に関しては、シルクの織物は使用せず、抽出したデザインをプリントした商品も作りました。銘仙の魅力は、銘仙そのものをアップサイクルすることももちろんですが、柄を保存してそれをプリントして再現することもできるとわかったんです。伝統の継承の仕方は、いろんな方法があることに気づかされました」

10年後の地元の景色

海外での活動にも力を入れてきた村上さんは、地元の魅力を日本だけではなく、もっと広く発信できるようになることを目標にしています。

 

「銘仙のアップサイクルは、どうしても量産ができないという課題があります。量産ができるようなテキスタイルを自社で開発しようと試みていて、それが完成したら海外にも展開しようと思っています」

 

村上さんは、5年、10年先の群馬をどんな地域にしたいと思っているのでしょうか。

 

「先ほどファッションが均一化しているとお話しましたが、街にも同じことが言えると思います。全国の多くの地域で起こっていることですが、商店街はシャッター通りになってしまっていて、郊外にある大手の商業施設に若い人やファミリー層が行ってしまう。そうなると地域の文化や個性がなくなってしまうと懸念しています。商店街の個性や、伊勢崎市の個性が発揮されるような街になればいいと思います。〈Ay〉も地域とコラボレーションによって、例えば駅や公共の施設をプロデュースさせていただくなど、人が使う場所や施設にも関われたらいいなと夢を持っています。地域の企業とのコラボレーションのように、地域が一丸となって街の魅力を発信できるような取り組みにも、また挑戦したいです。もっと地域に根づいていって、ひとつひとつプロデュースをしていくことでいろんな人たちがつながっていく。それが地域づくりになるのではないでしょうか。〈Ay〉や銘仙をきっかけに、もっと若い人が群馬に来てくれたら嬉しいですね」

 

2023年3月に大学を卒業した村上さん。地元の名品を世界へ、そして次世代へ繋いでいく担い手としてこれからますますフィールドを広げて活躍して行ってくれるでしょう。

【編集後記】

村上さんのように今の生活者の価値観に合ったかたちで地元の名産品を再提案する方がいると、「地元には何もない」と思ってしまっている地元の方が、魅力に気づくということはもちろんですが、更に「どういうかたちにして発信すれば対外的に魅力的に映すことができるのか」に気づくことができるという点で重要だと思いました。

今後、ますます数珠繋ぎのように人と人がつながり、群馬の魅力が増強されていく感じがしています。

(未来定番研究所 榎)

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