もくじ

2018.11.03

土地の風土と暮らしを見つめ直すー益子・土祭をひもときました〈全2回〉

第2回 地域の声から辿る、土祭のカタチ

古くから、焼き物の産地として名高い栃木県益子町。

豊かな自然に加え、多くのクリエイターたちが拠点を置くこの土地では、伝統的な風土と新しい要素が混ざり合った独特の文化が育まれ、地域内外の多くの人々を惹きつけています。

そんな益子で3年に1度行なわれるのが「土祭」。単なるアートフェスティバルや、集客のための観光まちおこしでもない。この土地で暮らす豊かさや意義を、地域の人たち自身が捉え直す機会として始まり、今年で第4回目を迎えました。では、この唯一無二の祭りは、一体どんな意味を持ち、まちにどんな変化をもたらしているのでしょう? 今回は、実際に土祭を運営する役場職員や実行委員、参加するアーティストたちの声を頼りに、土祭、ひいては益子町の今と未来を掘り下げます。

(撮影:豊田和志)

2018年9月、第4回目の開催となった土祭。「土と益子—この土地で共に生きる—」をコンセプトに、新月から満月までの2週間、まちの様々な場所で多彩なアート展示、企画が繰り広げられました。対象エリアを、益子地区にとどまらず、田野地区、七井地区の3地区にまで広げた今回。”益子ならではの文化”と、”この土地で暮らす豊かさ”を自ら問い続ける機会として、回を追うごとに地域の中での重要性を増しています。では、土祭を担っているのはどのような人なのか、そして彼らはどのような思いを持って土祭に参加しているのか。まずは、実現に向けて動く若き行政マンに、お話を伺いました。

「益子に恩返ししなきゃ、という気持ちでやっています」

土祭事務局/益子町役場職員・蔦木壽宏さん

役場職員の土祭担当として、今回の土祭を検討段階から支えてきた蔦木壽宏さん。行政や住民、アーティストたちなど、様々な立場の意見を集約し、調整することに奮闘してきました。

「大変だったのは、町民やアーティストの思いと、実際に町が対応できることのギャップを埋めること。例えば、七井地区の小宅古墳群は、景色が良い場所なので、そこをバックに作品展示をしたいという要望がアーティスト側からありました。でも、ここは埋蔵文化財保護地区に指定されていて、杭を打ちつけたり、穴を掘ったりすることができないんです。できること、できないことをきちんと説明した結果、インスタレーション作品の展示場所として活用できることになったのですが、アーティストの視点と、行政側の視点には大きな差があるので、そこを埋めていくことが難しいですね」

 

アーティストたちに表現の場を提供すべく、橋渡し役として活躍する蔦木さんは、役場で働き始めてまだ3年。以前は宇都宮で別のお仕事をされていました。土祭に関わることも今回が初めてだそうで、苦労された部分も多いと言います。

「土祭を立ち上げた馬場さんの考えや、これまでの経緯など、分からないことだらけだったので、もうとにかく1回目から関わっていた人たちに聞きまくりました(笑)。進めていく中でも、これは土祭らしいのかな? 方向性は合っているのかな? など、疑問に感じたことがあれば、一度立ち止まって確認することを心がけましたね」

既存の文献や資料からだけでなく、自らの足を使い、土祭に通じる地域の人やアーティストたちと積極的にコミュニケーションをとることで、土祭らしさを会得していきました。

「いずれは、土祭を益子の文化のひとつにしたい」と話す蔦木さん。「益子の人々のマインドに、焼物と並んで“益子といえば土祭”という感覚が根付いていけばいいですね」と笑顔を見せます。そのために必要なのは、「副実行委員長の受け売りですが、祭りを100年続けることです」と語る蔦木さん。

「役場には定期的に部署異動があるので、担当が変わってしまう。それでは本当の精神を引き継いでいくのは難しいです。そういう意味でも、役場主導から町民主導にうまくシフトしていけたらいいですね。私は益子に拾われたので、恩返ししなきゃ、という気持ちでやっています。担当させてもらえる限り、精一杯頑張りたいですね」。

役場の若い力が、土祭の芯をより強固なものにしているようです。

「益子って、こんなに面白いんだって。まんまと捕まりました(笑)」

アート運営委員/美術家・雨海武さん

次にお話を伺ったのは、アート運営委員として、アーティストの立場から土祭の運営を考える雨海武さん。もともとは東京で作家として活動していて、現在は、東京を中心に、アートにまつわるイベントやプロジェクトのプロデュースをしています。

「作家活動をする中で、アーティスト自身が”売れる”というリアリティーをもっと感じられるような環境を作るべきだと思うようになりました。そこで、自分自身が制作活動をするよりも、サポートする側に回っていく機会が増えましたね」

 

そんな雨海さんのご出身は茨城県で、現在は長野県にお住まい。益子にはもともと縁もゆかりもない雨海さんが益子に出会ったのは、ひょんなきっかけからでした。

「当時は埼玉に住んでいて、茨城の実家に帰ったついでに、それだけで帰るのつまらないから、とたまたま立ち寄ったのが益子でした。そこでカフェ兼コミュニティスペース〈ヒジノワ〉に出会って、面白いじゃん! と。まんまと捕まったわけです(笑)」

この出会いをきっかけに、埼玉に住みながら〈ヒジノワ〉でのアート展示を企画する担当をされていた雨海さん。

「次、土祭があるから手伝ってと言われました。益子の先輩方に熱心に誘われて(笑)。それが2012年の第2回土祭の時。1年間益子に住み、益子町の臨時職員として土祭に関わりました」

そして4回目の今回、縁あって再び土祭の運営に携わることに。前回は役場職員、今回はアート運営委員と、ふたつの立場から土祭を見てきた雨海さんは、これからの土祭をどのように考えているのでしょう?

「役場から町民にうまく主導権を移していけたらいいですね。いかに馬場さんが最初に立てた構想を引き継ぎながら、世代を超えて移行していけるか。組織の組み立てからしっかり整備していかないといけないのですが……、今後に期待しています」。

行政と町民。両者の丁寧な議論と歩み寄りが、今後の鍵を握るのかもしれません。

「地域の人たちが、場の使い方を考え直すきっかけになれば」

彫刻制作/美術教育・生井亮司さん

益子地区を縦断する本通りから、1本入ったところに佇む趣深い建物では、生井亮司さんの展示が行われていました。生井さんは彫刻制作や美術教育を専門とするアーティスト・研究者で、武蔵野大学でも教鞭をとっています。今回の土祭では、「生成変容するかたち」をテーマに、味のある大空間をふんだんに使って、乾漆を用いた彫刻作品を数多く展示しました。

 

「この建物は、もともと壊す予定だったそうなのですが、素晴らしく味のある空間なので、ぜひ使えたらと。実行委員で木工作家の高山英樹さんからお声がけいただいたことがきっかけで今回の展示が実現しました。この展示がきっかけで、大家さんはもちろん、まちの人から見ても、ここはこういう使い方ができるんだ、壊さない方がいいな、と思い直すかもしれない。益子の人たちが考えるきっかけになればいいなと思います」

内町工場裏に位置する大空間。

今回の展示を通して、「かたち」にまつわる”問いかけ”を行っている。

第1回の土祭から参加されている生井さん。今回初の試みとして、哲学対話やワークショップなども行ったのだそう。土祭というフィールドを使って、外部のアーティストが地域に新しい視点を与えてくれる。これもまた、土祭がまちにもたらすひとつのインパクトです。

「自分の原点に立ち返ることは、表現活動の一つのきっかけになるかな」

彫刻家・藤原彩人さん

色合いの異なる多様なレンガが積まれた外観が目を惹く〈元むらた民芸店〉で行われていたのは、彫刻家の藤原彩人さんの展示「VASE—空を抱える像もしくは器—」。益子に根付く、実体のない「風土」の姿を人体像と重ねあわせ、表現しているのだと言います。藤原さんは1歳の時、お父さまのお仕事の都合で益子に引っ越し、高校生までこの土地で過ごしました。「益子が嫌いで、出ていったタイプです(笑)」と自らを表現する藤原さんですが、ゆかりのある益子の土地で表現する意義について、こう話します。

 

「益子に住んでいると当たり前のことでも、客観的に見るとそうではないことってたくさんあるんです。例えば、日常的に土の臭いがすることとか、見渡すとまちが茶色いこととか、マクドナルドがないこととか(笑)。単純なことですけど、美術の仕事をするために東京に行って、いろんな人に出会うことで初めてそれに気づいたんです。自分の基盤は、幼少時代に整っていたんだと思います。なので、土祭のような機会に、改めて、モチーフとして自分の営みの原点を取り上げることは、表現活動を進めていく上での一つのきっかけになるかなと思いました」

展示会場となった〈元むらた民芸店〉。2009年の第1回土祭の前に、藤原さんが、建築家の小塙芳秀さん、デザイナーの藤原愛さんと、窯で使われていた耐火煉瓦などを用いて改修したのだそう。

七井地区の地名の由来となったとされる“七つの井戸”の存在からインスピレーションを受けた、藤原さんの作品「VASE—空を抱える像もしくは器—」。

土祭に参加して2回目。前回に比べて、自分なりに土祭の精神を解釈し、強く共感しているという藤原さん。アーティスト自身が自らのルーツを振り返り、表現のインスピレーションのきっかけを得る。土祭の存在意義は、ここにもありました。

「土祭は今、本当の意味で地域のための祭りに進化しつつある」

アート運営委員/木工作家・高山英樹さん

最後にお話を伺ったのは、これまでの土祭4回すべてに関わり、土祭の過去、現在、未来を知る木工作家の高山英樹さん。今年から、開催エリアが広がったことは、町民の皆さんのモチベーションにも大きな変化を与えたのだそう。

 

「田野、七井の地区の人たちにとって、前回までの土祭は、”中心地でやっている、自分には関係ない祭り”という印象があったと思います。それが今回からリアリティーが湧いて、とてもやる気になってくれています。例えば、今回から地域が主体で考えた“地域プロジェクト”というのも始まりました。農地の多い田野地区であれば、稲刈り体験。七井地区であれば、地域の文化財を生かした歴史探訪ツアー。地区ごとに委員会を作り、それぞれこういう企画をやったら面白いんじゃないかなっていうことを協議していっています」

益子エリアは、まちの中心であり、益子焼のメッカでもあることから、どこか観光を意識したような、外から来る人たちや物販を意識した動きになっていたのだそう。そこに、土地柄、物販を念頭に置いていない田野や七井の人々が加わったことで、「この土地で暮らす豊かさを、自分たち自身が感じる」という土祭の本来の意図によりいっそう近づいたと高山さんは言います。そしてこれは、土祭を立ち上げた故・馬場浩史さんの思いでもありました。

田野地区・山本八幡宮で行われたインスタレーション。フィールドレコーダー・川崎義博さんが手がけた奉納ダンス作品「地の時より空の時へ」。

「馬場さんの中で、祭りを継続していくためには、地域の人たち自身でいろんなこと考えてもらいたいという思いがあったんです。なので、1回目や2回目は自分が指揮をとるけれど、そのあとは町民の皆さんに手動してもらいたいと。今少しずつ、馬場さんが持ち込んだアートという切り口と地域特有の取り組みが融合していっていて、本当の意味で地域のためのお祭りになっていってる状態だと思います。そして、地域の人たちがたくさん関わり、大切にして楽しんでいる祭りになれば、自然と見に来て頂いている方たちにも、何か感じてもらえるお祭りになると思うんですよ」。

さらに高山さんは、未来に向けてこう続けます。

「今後は、やっぱりどんどん地域主導にしていくということだと思います。そのためには、町民の皆さんをどんどん巻き込まないといけないですね(笑)。1人でも共感する人が増えれば、少しずつ裾野が広がっていくと思うんですよね。地道に裾野を広げていくしかないんですね。大変だけれども、地道に」

編集後記

土祭は、レジャーや観光を目的とした表層的なものではなく、そこに暮らす人々の精神、またそれに影響をうけた人々の表現とが合わさって生まれる”祭事”なのだと感じさせられました。

今回はたくさんの方々にお話を伺いました。関わる立場は違えど、皆さん益子や土祭に対する熱い思いに溢れています。この祭衆のように主体性をもつ人が増えれば増えるほど、益子は新しい形へと進化するのでしょう。

百貨店を核にまちづくりを目指す我々にも通じるところがあるかもしれません。今後も町民によって変化する益子、とても楽しみですね。

(未来定番研究所 佐々木)

土地の風土と暮らしを見つめ直すー益子・土祭をひもときました〈全2回〉

第2回 地域の声から辿る、土祭のカタチ